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つらい修行は必要なのか?

つらい修行は必要なのか? 答えはNOですね もともと僕は人類が言葉を使い始める前、テレパシーや直観で生活していたと思っています、それをただ取り戻すだけ、その証拠に宗教が始まるはるか前(6000年以上前、諸説ありますし誤解もありますが、)すでに自然へ天への信仰はあったようです、もちろん宇宙人との関係は否めませんが、それは置いておいて、それにしても、何らかの言語を超える方法を持っていたはずです、そして高次と繋がっていたと確信しています。 それを取り戻すのにきつい精神修行は必要ないのです、精神を鍛えるなどといゆうのは本当の意味でのオカルト、と霊性を上げる、波動を上げる事は関係はありません,滝行、断食、そのほかのきつい修行は一時的に、新しい体験をカルマなどに入れ変化したように見えますが、例えば受験勉強を徹夜でやった効果くらいにしかならないといゆう事です 僕は山奥で一人で暮らしたいと思っていますが、それはつらい修行をするためではなく、一人でいる事が大好きで日々の訓練はつらいといゆうより生活の一部でや高次との関係上 一人は僕にとっては最高のワクワクです 日々の訓練はきついと感じるのではなくお風呂に入るテレビを見ると同じ程度の日課的に考えるのはどうでしょうか 波動を長期的に上げていくのは精神修行と呼ばれるまやかし、ではなく、僕がお伝えする日々の訓練は、学生が勉強する、主婦が家事をする、働いて仕事をする、くらいの生活の一部のような事で、徹底的に古代人と違う問題は環境ですから、現代社会で、いつもどうやって波動を下げないかといゆう事、です そして、ワクワクすること感動をすることです、楽しむことです

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