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病気と人生の幸福

病気と人生の幸福

誰もが人生に喜びを求めており、それを得ようと努力しています。その反面、苦しみや悲しみはできるだけ避けたいと願っています。

しかし、程度の差こそあれ生きていれば困難苦難を経験しない人は誰もいないでしょう。

その中でも難治性疾患であれば1日24時間その症状が自分の身から離れることはないので、本人は勿論のこと家族や身近な人たちにとっても本当に辛いものです。

そのような病気やケガなどで悩んでいたのなら、誰でも一日でも早く治したいと望んでいることでしょう。とくに痛みや障害などの激しい苦痛を伴う場合には尚更そうだと思います。

そして、思うように治らないときにはあちこちの医療機関を訪れたり、さまざまな民間療法や代替療法、サプリメントや運動療法などの各種健康法を試してみたりする場合もよくあります。

しかし、それでもよくならないとすればもう諦めるしかないのでしょうか?

確かに、高齢者であったり隠居生活をしている人であるならば、もういい歳だから仕方がないと思えるのかもしれません。

でも、まだ若かったり養うべき家族がいたりやりたいことがあるとするならば簡単に諦めることはできないのではないでしょうか?

病気や症状と共存するという考え方もありますが、学校に行けなかったり仕事ができなかったり日常生活が大変だったりする状態であれば肉体的にも精神的にも日々とても辛い思いを強いられます。

そのようなときに大抵は、

「なぜ自分がそのような目に遭わなければならないのか?」

という答えが見つからない疑問を抱くようになります。

生まれつき体が弱く、入退院を繰り返す子供がいる一方で、タバコやお酒を嗜んだり、不摂生な生活を送っていたとしても丈夫で長生きする人も少なくありません。

このような一見して不平等に思える健康状態は、一体どのようにして決められるというのでしょうか?

それとも偶然そのようになっているだけなのでしょうか?

もしそうだとすれば人生の土台である健康は生まれた時から決まっており、自分で望むようにコントロールできないことになります。

それに健康や体の問題だけではなく、生まれてくる時代や国や家庭なども自分が望むように選択できないという不自由さがなぜあるのでしょうか?

中には、こんな辛い人生ならばそもそも生まれてこなければよかった・・・・と思っている人たちでさえ大勢います。

それは自分自身が存在する意味や理由についての疑問だと置き換えることもできるでしょう。

このような人生の根源的な問いに対して果たして正解はあるのでしょうか?

もしくは、人生には何の意味もなく自分自身の存在理由もとくにないのでしょうか?

中国の有名な思想家の老子が言うように「無為自然」(人為的な行為を排し、宇宙のあり方に従って自然のままであること)に生きることが人間本来の正しい生き方だとしても、私たちは自分自身のことも宇宙の摂理のこともほとんど何も知らないし理解もしていません。

ただ、生まれ育った環境から受けた影響によって身に付けた価値観や考え方に従って行動し過ごしてきました。

その結果、世界的な視野で見れば戦争、テロ、紛争、犯罪、差別、偏見、貧困、格差、環境破壊、絶滅種、イジメ、自殺、難治難病、寝たきり、痴呆、介護、孤独死、食糧問題、エネルギー問題等さまざまな不幸や悲劇が蔓延しています。

実は、こうした問題は決して他人事ではなく私たち一人一人に深く関与していることです。

なぜならば、このような環境の中で生まれ生活していることで難治性疾患に罹ったり原因不明と言われる症状が発生しているからです。

このような意味において、すべての存在は互いに影響し合っており、また繋がっているということがわかります。

つまり、病気・症状だけではなくどのような個人的な問題であっても世界や宇宙と関連して起こっているのだということなんです。

このような事実に対して、にわかには信じられないという人もたくさんいることでしょう。

それはその人たちにとっては肉体の五感で感じられる世界がすべてとなってしまっているからです。

しかし、実際にはこの世界は五感や知性だけでは理解も感知もできないことの方が圧倒的に多く存在しています。

事実、私たちの肉体や精神のことも医学的にはほんの一部しか解明されていないので、難治難病で困っている人たちが世界中にいるわけです。

では、このような問題に対してどのように対処をすればいいのでしょうか?

それがすべての人に共通する課題でもあります。

哲学者であったソクラテスは「汝自身を知れ」と言いました。

彼は人間の知恵が神に比すれば取るに足らぬものであるとする立場から、何よりもまず自己の無知を知る厳格な哲学的反省が肝要であるとして、この格言を自己の哲学的活動の出発点に置きました。

これは科学や文明がソクラテスの時代よりも遥かに発達した現代社会においても同様のことが言えるでしょう。

なぜならば、上述したように世界に蔓延している悲劇的な問題は相変わらず存在し、減少するどころか更にくすぶり続けているからです。

真実は、この世界が不幸だから私たちにも不幸が訪れるのではありません。私たち一人一人が不幸だから世界中に不幸な出来事が起こっているのです。

その不幸の原因とは「無知」のことです。無知は「不安や恐れ」を作り出しています。

その「不安や恐れ」を解決するのではなく、逃れたり避けようと行動した結果不幸な出来事が起こってしまうのです。

あなたがもし本当に幸せを手に入れたいと望むのであれば、この世界に期待したり依存したりするのではなく、自分自身の奥底に求めなくてはなりません。

ブッダはこう言いました

【汝らよ、自からのランプに光をともせ、誰にすがっても救済を与えはしない、自を悟れ、アルヴァーナに到着するなら、汝がブッダである】

ある聖者は言いました、

キリスト教しかり、キリスト とは普遍の意識であり、キリスト意識に達せずして究極真理に至ることは出来ない,、これはキリスト教秘主義者の理解するところだが、一般のキリスト教徒にはめったに理解されない


つまりどんな神様や仏様や高次や生き神様のような能力者にすがっても、崇拝しても、自分が変わろうと理解して努力しなければすべての向上は絶対ありません、ただの自己満足と、他責思考、依存思考の考え方にすぎません、それはこれらの純粋な言葉からも明白です、魔法の杖はあなた自身で創るのです


自分を探し続けていく過程で、あれだけ治りにくかった病気・症状がいつのまにかよくなってしまった・能力が向上した、人生が大きく変わった、、、という実例をたくさん見てきました。

それはつまり自分自身と向き合うという作業です、それをやりやすく指導(サポート)することが私の役目だと思っています。

この説明がきっと大事なカギとなるでしょう 感謝

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